大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)1941号・昭58年(ワ)35号 判決
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【判旨】
4 原告幹夫の逸失利益
(一) 休業損害
<証拠>によれば、原告幹夫は事故当時五〇才で、石油販売業を経営し、少なくとも一か年平均四一四万三、五〇〇円以上の収入(昭和五五年度賃金センサス第一巻第一表企業規模計、産業計、学歴計、五〇才ないし五四才男子労働者平均賃金)を得ていたが、本件事故により、後記認定の原告幹夫の労務の内容、前記認定の傷害の部位、程度、治療期間、実通院日数などを総合すると、昭和五五年三月二二日から昭和五七年八月二六日までの間、その八〇%の休業を余儀なくされたものとするのが相当であり、その間合計八〇六万四、四九九円の収入を失なつたことが認められる。
ところで、<証拠>によれば、原告幹夫の経営する石油販売業においては、昭和五四年度の利益一、〇九二万七、二九八円を基準とすれば、昭和五五年度から昭和五七年度までの間、合計二、八四八万九、七〇一円の利益を失なつたことが認められる。しかしながら、<証拠>によれば、原告幹夫は、事故以前から、大阪市天王寺区勝山通において「芝先石油店」の屋号で石油販売業を営み、飛島建設(株)のほか四、五社の得意先建設会社などから注文を受け、大協石油(株)より仕入れた石油(主として灯油、軽油、潤滑油)を各注文先へ納入し、その差額を儲けようとする業務内容であつて、昭和五一年度は常時五、六人を、昭和五二年度は一人を、昭和五三年、五四年度はアルバイトを雇用するなど、石油市況、建設業界の好・不況にその利益が左右されやすい業務であつたこと、石油の販売方法をみると、大協石油(株)に代行して得意先へ販売し、仲介料を稼ぐ販売方法と、大協石油(株)から石油を仕入れ、これを得意先に転売して儲ける自社売上方法とがあつて、昭和五四年度からは大協石油(株)に保証金を納めたことから、昭和五四年度に比し、昭和五六年度以降は右の代行分が減少し、自社売上げ分が増加するなど、事故前と事故後の収益内容が異なつているため、これを単純に比較することができないこと、また、計理内容をみても、業務内容が石油販売の中立であることから、接待交際費が経費中の多くをしめているため、税法上の恩恵に浴すべく、いわゆる「みなし法人課税」を選択するなどして節税につとめていること、及び、原告幹夫は、右「芝先石油店」において、事業主として従業員を指揮、監督するかたわら、主として得意先をまわり、注文を受け、大協石油(株)に発注する仕事をしていたこと、ところが、本件事故による受傷のため、常雇いの従業員一名を雇用し、症状が良好なときには同人に運転をさせて、できるだけ得意先の維持に努力していたこと、しかしながら、得意先よりの受注量は昭和五四年度に比し昭和五五年度で59.1%、昭和五六年度で55.2%、昭和五七年度で52.8%それぞれ減少したことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。
右事実によれば、「芝先石油店」における収益は、その業務内容から石油市況、建設業界の景気により左右されやすい業務であり、昭和五四年度に比し昭和五五年度以降は代行分が減少し、自社売上げ分が増加するなど収益内容に変化があり、従つて、右「芝先石油店」における販売量の減少、収益の減少が、全て原告幹夫の、本件事故により労働しえなかつたことに基因するものとはいえない。
しかしながら、右「芝先石油店」における販売量の減少、収益の減少の多くが原告幹夫の本件事故による不就労に基因することも否定することができず、原告幹夫の右「芝先石油店」の収益に対する労務内容を考慮し、その寄与分を考え合せても、原告幹夫の不就労によるより確実な減収としては少なくとも昭和五五年度における原告幹夫と同年代の男子労働者平均賃金以上の減収があつたものと認められ、被告ら主張の昭和五四年度「みなし法人所得額」申告の際の事業主報酬の申告額が、税理士の指導による節税対策を目的としてなされたことを考慮すれば、右申告額を逸失利益算定の基礎とすることもできない。
従つて、前記のとおり、原告幹夫の休業損害を算定した。
(二) 将来の逸失利益
前記原告幹夫の労務内容、休業損害算定の基礎および前記認定の受傷並びに後遺障害の部位程度によれば、原告幹夫は前記後遺障害のため、昭和五七年八月二七日から少くとも四年間、その労働能力を一四%喪失するものと認められるから、原告幹夫の将来の逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、二〇六万七、四四〇円となる。
(坂井良和)